1.奨学事業による留学で学ばれた内容は何ですか。

オーロニー大学での語学研修を経て、国際特別生としてギャロデット大学に入学しました。様々な学部でのL G B T QやQueer関連の講義を取りながら、ワシントンD CのL G B T Q支援現場に携わったり、大学内のろうL G B T Q学生支援センターでの企画運営にも関わったりしました。また、ろう者とL G B T Qのアイデンティティ交差(ろうL G B T Q学)について専門的に学ぶことができました。特にIntersectionality(インターセクショナリティ:社会的抑圧の交差)という概念も留学の中で出会い、学びました。 

2.L G B T QやQueerの言葉は日本でも知られるようになってきました。ろう者の社会でも手話表現が見られるようになってきました。山本さんも留学前から手話表現に関して活動をされてきたと思います。留学後はウェブサイトを立ち上げて手話表現も動画をアップしているそうですから、留学前と留学後における手話表現の活動について話していただけますか。ウェブサイトのURLも教えてください。

性のあり方が少数派である人のことをセクシュアルマイノリティ(性的少数者)といいます。近年では「LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)」に加えて、「Q(クィア)」=一般的な女性・男性の枠に当てはめないと考える人たちを含めて「LGBTQ」という言葉が使われています。私はろうの両親の間に生まれました。両親の手話を見て育ち、日本手話言語が私にとっての第一言語です。そして、高校生の時、自分は男性に対して恋愛感情を持たないのだと気づきました。
ろう者の集まりでも、一般的な健常者のコミュニティがそうであるように、ほぼ異性愛を前提として話が進みます。自分が同性を好きになることを誰にも打ち明けることはできませんでした。例えば、「ホモ」「オカマ」「レズ」といった差別的な手話表現が日常的にあり、私のことを差別しているわけではないのは分かっていましたが、自分が軽蔑されているように感じてしまい、本当に苦痛でした。当時、差別的な手話はあっても、LGBTQを正しく表現する手話はありませんでした。そこで、私は第一刷の「ろうLGBTサポートブック」(2014年3月)を制作し、同年5月にはDeaf LGBTQ Centerを立ち上げました。ブックには写真付き手話を掲載することで、当事者が安心して使える差別的でないLGBTQの手話が広まることを目指しました。
Deaf LGBTQ Center: https://deaf-lgbt-center.jimdofree.com/

手話辞典にはLGBTQに関する手話はまだ数が乏しいです。LGBTQの集まりや、LGBTQに関する研修会に行きたくても、その知識を持っている手話通訳者がおらず、参加することが難しい状況があります。第一言語が手話で生活しているろう者は文章を読み解くことが苦手な人もいて、情報を得にくい状況にあります。第一刷のサポートブックは大きな反響があり、手話通訳者、教育関係者や行政などからも「ほしい!」という声が殺到しました。結果、6千部はあっという間になくなり、募金を集めて増刷した1万部も好評で飛ぶように配布が進んでいきました。いまでもオファーが止むことはありません。
ろうコミュニティにも、LGBTQのコミュニティにも、私たち「ろうLGBTQ」というダブルマイノリティには、安心できる居場所がありませんでした。正しい知識と手話をどちらのコミュニティにも広めていく必要があると考えました。
私は2015年から2017年の2年間、米国で生活し、学ぶなかで、「L・G・B・T」というようにセクシュアリティ(性のあり方)をカテゴライズするのではなく、もっと広い視野で、LGBTQ以外の人も含めた「多様な性」について知る機会を増やさなければならないということを感じるようになりました。第一刷のサポートブックはLGBTQ当事者に向けた手話表現の説明などにとどまっており、手話通訳者を含むサポートする側にも向けたメッセージや啓発を含めたサポートブックを作ることが急務なのだと感じるようになりました。
さらに、多くのトランスジェンダーが性別違和カウンセリングを受けるため、手話通訳者派遣をお願いしようとしたら、専門的な内容だからと断られたり、医者と筆談していても内容が理解できなかったりすることがあるなど、LGBTQにおいて、既存の手話表現の幅には限界があるのだと考えるようになりました。
また、日本手話言語には、男性(親指を立てる)、女性(小指を立てる)など男女二元論に基づいた手話表現、例えば「結婚」だと男性と女性がくっつくというような表現がまだ存在しています。
第二刷の「ろう×LGBTQサポートブック」(写真下:2018年4月発行)には第一刷では掲載されなかった手話表現「パンセクシュアル」、「Xジェンダー」、「アライ」などさまざまな性自認・性的指向(SOGI: Sexuality Orientation and Gender Identity)を取り巻く状況の表現を掲載しました。そのような性自認・性的指向を表す手話表現を掲載することで、ろうLGBTQや手話通訳者/サポートする側が安心して参加できる場所を増やすことを目指しました。

○ろうL G B T Qサポートブック(A3版)ダウンロードができます。
https://drive.google.com/open?id=1Q2Qvpbgc237BQw26-DkF-amKhNoDtjyf
○多様な性をあらわす手話動画
https://youtu.be/kCcQN1gbWVk

ろうL G B T Qサポートブック(A3版)

3.「インターセクショナリティ」は日本ではあまり見ない言葉ですが、例を挙げて説明をしていただけますか。

Intersectionalityとは、人種、民族、性別、宗教・信条、世代、セクシュアリティ、年齢、障害の有無、社会階級などのような相違のカテゴリーが交差しながら個人の経験を形成するものであり、アイデンティティは多面的であるという考え方です。これらのアイデンティティは相互排他的でなく、相互依存の関係にあるといわれています。私自身のインターセクショナリティを例えとしてあげてみると、日本人、ろう者、女性、Queer、インテグレーション、、、というようになります。人々が経験する不公平さや有利さを識別するために使われる概念で、例えば、ろうLGBTQが雇用の場で経験する差別は必ずしもろう者だからでも、LGBTQだからでもなく、障害とセクシュアリティという特定の組み合わせによって生じます。つまり、聴こえる人もストレートのろう者も差別されない状況において、ろうLGBTQが経験する特有の差別についてインターセクショナリティを用いることで認識が可能となるわけです。

4.なるほど、盲ろう者からも、単に視覚障害と聴覚障害があるのではなく、この二つの障害が組み合わせられることで生じる新たな障害があるという話を聞きますので、理解できるように思います。ところで、山本さんは奨学事業による留学を終えた後はすぐに帰国されたのでしょうか。

留学を終えた後は、2ヶ月間、カナダ、トロントのろう者のためのH I VやA I D S啓発団体「Deaf Outreach Program」やろうL G B T Q団体「Ontario Deaf Rainbow Alliance」でインターシップをしました。年一回、開催される世界規模といわれているL G B T Qの祭典「Pride Toronto」にも参加し、ろうL G B T Qとしてのアイデンティティや価値観に合った様々な社会的リソースや支援方法を学びました。

カナダ、プライドトロント2017に参加した時の写真。
毎年、10万人が集まる世界規模のLGBTQの権利を謳ったり祝う祭典

5.充実した2ヶ月間であったことでしょう。米国では、以前からLGBTQの当事者が自らをオープンにして活動されていたのでしょうか。それとも、黒人解放運動や女性解放運動、障害者運動のように、LGBTQも当事者による運動があったのでしょうか。

1960年代の米国内では黒人解放運動やベトナム反戦運動が発生し、これらに刺激を受けた一部のL G B T Q活動家はより急進的になり、1960年から1970年の間は「ゲイ解放運動」が盛んになりました。ニューヨークの「ストーンウォールの反乱」は特に有名で、警察(国家権力)によるLGBTQ当事者たちの迫害に立ち向かう抵抗運動で、映画にもなっています。そして、L G B T Qの権利運動が世界各地で起こるようになり、ニューヨークで毎年開催されている「Pride New York」は世界で初めてのL G B T Qの祭典で、世界中のL G B T Qの人たちから愛され、親しまれています。

6.「ろうLGBTQのアイデンティティや価値観に合った様々な支援方法」は例えばどういうものがあるのでしょうか。

ろうLGBTQの話をするときにろう者のアイデンティティについても理解しておかなければなりません。一般的に「聴覚障害者」といわれることが多いのですが、聴覚障害者=聞こえない人、ではなく、聴こえの力や教育的・言語的背景、コミュニケーション方法などそれぞれ異なり、多様な立場の方がいます。セクシュアリティはさらに多様です。その人のコミュニケーション方法に合わせた支援が必要ですし、その人が自分のセクシュアリティについてどこまで理解できているか、また、セクシュアリティをオープンにしているかどうか、ろうコミュニティーとの関わりを持っているかどうか等で、支援方法は変わってきます。ろう者として、L G B T Qとしてのアイデンティティ獲得過程を切り離しての支援は不可能ですので、それだけでなく、インターセクショナリティーの視点に立った支援がこれから必要になると思います。

7. 留学を終えた後、今までにされたお仕事・取り組みの内容はどのようなものがありますか。

帰国後は前述したように、性自認や性的指向、L G B T Qの手話表現や通訳現場での課題、米国での留学経験が掲載された「ろうL G B T Qサポートブック(第二刷)」や多様な性をあらわす手話動画を制作し、1万6千部発行しました。これはクラウドファンディングで資金を募り、目標達成されたものです。2018年には独立行政法人国際交流基金アジアセンターのフェローとしてフィリピンのろうL G B T Qコミュニティ調査を1ヶ月間、実施しました。毎年、約100名ほどが集まる、ろうL G B T Qの全国大会を運営しているのですが、昨年の2019年、第5回ろうL G B T Q全国大会(福岡市)では同じくアジアセンターからの助成によりフィリピンのろうL G B T Q団体の代表ら3名を日本に招聘しました。お互いの国の支援方法を学び合ったり、交流を深めることができました。今後、私が持っている米国でのネットワークとアジアとつなげていきたいとも考えていて、東南アジアろうL G B T Q会議の開催、そして、最終的には世界ろうL G B T Q会議の開催を目指したいと思っています。

8.日本財団はアジア地域で活躍する人材を求めていますので、山本さんが米国で学んだ知識と経験を早速、アジア地域で活かす取組みをされたのは素晴らしいことです。この取組みの中で感じたアジア地域での課題にはどのようなものがありますか。

私がフェローとして活動したフィリピンは7,000以上もの島々をまとめてフィリピン共和国といいます。歴史的にはスペインなど様々な国からの長い被植民地経験を経て、さまざまな文化が混在しています。言語も、公用語であるフィリピン語、英語に加えて地域独自の言語があるなど、非常に多様性のある国です。フィリピンはキリスト教の中でも保守的なカトリック教徒が大半を占めるがゆえ、同性婚が今後認められる可能性は低いと言われています。性別変更も認められていません。アジアでは宗教的な理由から同性愛や性別変更が認められない国が多く存在しています。
日本では同性婚はまだ認められていませんが、パートナーシップ制度を取り入れる自治体が増えてきています。この制度は、法的には婚姻と同等の効力はありませんが、例えば病院などで手術同意書にサインができる、家族として面会ができるなどのメリットがあります。また性別変更についても、厳しい条件ではありますが、医師の診断や性適合手術を受けるなどの条件をクリアしていれば可能となります。一方、フィリピンの場合、結婚とは「男女間における永遠の絆という特別な契約」と家族法に明文化されています。この背景にはキリスト教の教義があり、結婚は男女のものである、とはっきり書いてあるのです。パートナーシップ条例もありません。繰り返しになりますが、カトリック教徒が大半を占める国なので、今後フィリピンで同性婚が認められる可能性は低いです。性別変更も認められず、性別の変更は神に歯向かうことと同じという考えがあるのです。このように、日本と比べてみるとフィリピンは大変厳しい状況だということがわかりました。フィールドワークではろうL G B T Qに対するサポート体制や心理的な援助、特に当事者団体の現状を調査するのが目的でした。ろうL G B T Q当事者やそれに関わる人たち23名の方をインタビューすることができました。
Pinoy Deaf Rainbow(以下、PDR)という、アジアで初めてのろうLGBTQ団体として2011年に設立された団体が、マニラにあります。現在の代表はディスニさんといって、MTF(Male To Female:身体的性別が男性で性自認が女性の人)のトランジェンダーです。今までは、ゲイの方がずっと代表をされていて、初めてトランスジェンダーの人が代表になりました。一方で、LGBTQという言葉で一括りにできるものではなく、レズビアンとして、ゲイとして、トランスジェンダーとして、それぞれに抱える課題や支援方法は異なります。PDRのグループの中にも、ろうトランスジェンダー、ろうレズビアン、ろうクィアの3つの団体があります。例えば、トランスジェンダーにはホルモン治療といった特有の課題があり、それについてはろうトランスジェンダーの団体で共有されます。しかし、LGBTQ全体で考えるべき問題については、3つの団体が連携して活動しているのです。フィリピン全土で見ると、PDRを含め、セブ島やダバオ、ルソン島などに、少なくとも6つのろうLGBTQの団体があり、それぞれが交流を図りながら活動を進めています。日本では残念ながら、それぞれの団体の連携が見られません。それぞれの問題や解決方法など、これから互いに連携して話し合う必要があると思い、日本にはないものをアジアから学ぶことが必要だと思っています。
そして、現在、社会福祉法人ひょうご聴覚障害者福祉事業協会の神戸事業所「神戸長田ふくろうの杜(もり)」放課後等デイサービス ふくろうっこの管理者として準備を進めています。2020年12月にオープン予定です。ろう児にろう者にも多様な人たち、立場があるということを伝えたり、インクルーシブなろうコミュニティづくりのひとつとして、取り組んでいきたいです。

9.きこえない子どもにLGBTQも含めて多様なきこえない先輩が活躍していることを保護者も含めて知ってもらうのは大切なことですね。兵庫は淡路の「ふくろうの郷」が全国に知られていますが、「ふくろうの杜」「ふくろうっこ」とふくろうの名前が広がっていくようで楽しみです。管理者はまた違った知識が求められると思いますが、どのような準備をされているのでしょうか。

放放課後等デイサービスの設立のために神戸市に申請をしたり、職員や利用児童の確保、ろう学校との連携を進めたり、保護者説明会の設定、予算の作成など、さまざまなことをしています。連続的な子ども企画もしていますが、少しずつ名前が知られるようになってきていると思います。ふくろうの杜がろう者に特化した多機能型の施設であるため、就労継続支援B型や生活介護、高齢者デイサービスも運営しています。そのような幅広い年代の多様な立場の成人ろう者と日々を過ごす中で、ろう児がどのように彼らから吸収し、成長していくのか、楽しみです。

10.奨学事業による留学終了から現在で何年目になりますか。

2017年6月に留学終了でしたので4年目になります。

11.「グローバル人材」という言葉があります。私はきこえないグローバル人材を次のように考えています。共生社会に求められる人材像としては、(1)きこえない日本人としてのアイデンティティを確立していること、(2)外国の手話言語を含めて異なる言語を幾つか習得していること、(3)海外の様々な人と協調関係を構築できること、(4)国際的な視野に立って社会貢献するための知識と経験を備えていることです。この4つの条件それぞれについて、山本さんご自身はどのように自己評価されますか。一つ一つお話しください。

私自身、幼い時からろうコミュニティとの強いつながりがあり、それが留学に結びついたことが大きいように思います。また、日本を出てみて、わかったことや感じたことがたくさんありました。日本は「言わない文化」「我慢する文化」が根強い国です。自分を語ることは恥ずかしく、隠す傾向が強いように思います。留学時代で思い出したことがあります。大学には白人や黒人、アジア人、様々な学生が一つの教室で学びます。自己紹介の時、日本ではせいぜい、「名前、趣味」くらいで終わってしまいます。しかし、米国では自分のルーツや使える言語、セクシュアリティなど、アイデンティティを具体的に話し、自分自身を可視化させます。そうすることで周りはその人との接し方や必要な配慮を最初に知ることができます。自分は何者か、自分自身をよく知ることで、その上で、多様な価値観の人たちとの対話をすることが、グローバル人材として可能になると思っています。

自分のことを状況に応じて適切に伝え、自分ができることをやるというのは、日本でも障害者差別解消法にある「合理的配慮」のプロセスで当事者に求められる姿勢になってきていると思います。これが国際社会でもグローバル人材の基本条件として大切なことなのですね。でも成人してからこの姿勢を身につけようと思ってもなかなか難しいこともあるでしょう。だからこそ、山本さんが新しい職場できこえない子どもに接する中で自分自身を可視化する姿勢を伝えていくのは素晴らしい取組みであると思います。自己形成は子ども時代から始まるのです。そしてキャリア形成につながっていくのですから、山本さん、頑張ってください!

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