ダビラ学長と高山さん(2007年)
2007年、当時のギャロデット大学学長だったダビラ学長と。いつも笑顔で元気かと声をかけてくださっていました。

1.奨学事業による留学で学ばれた内容は何ですか。

留学する前は、精神保健を専門とするソーシャルワーカーとして、ろうの子どもや成人に対する支援に関わりながら、大学院にて、ろう者の精神保健やろうあ者相談員の制度について研究をしていました。留学を決意したのは、いくつかのきっかけがあり、それらが偶然にも重なったからです。一つは、当時の大学院の指導教員に、ソーシャルワークの本場である米国で、ソーシャルワークや精神保健の実践、研究に触れることは研究者として重要であると助言されたことが留学を意識する一つのきっかけでした。次に、2005年にギャロデット大学の先生のろう者の精神保健に関する講演を聴講する機会に恵まれ、ギャロデット大学でろう者や難聴者の問題に特化したソーシャルワーカーや心理士の養成をしていることを初めて知り、ギャロデット大学で学ぶことに関心を抱いたからです。このように、同時期にこの二つの理由が重なり、ギャロデット大学に留学して、ろう者の精神保健支援のあり方、その専門家の養成方法について学びたいと考えるようになりました。また、当時在籍していた大学院のすぐ隣に筑波技術短期大学(現、筑波技術大学)でPEP-Netなどでアルバイトをする機会があり、ろう・難聴学生のための高等教育の動向にも興味を持った時期であり、世界で初めてろう者のための大学として開学したギャロデット大学に関心を持つようになりました。また、ろう学校の経験がなく、ずっとインテグレートの教育環境で育ったため、手話で学ぶことに憧れがあったので、ギャロデット大学以外への留学計画は全く考えていませんでした。
ギャロデット大学では、1年間の特別学生としての準備期間を経て、ソーシャルワーク修士課程に入学し、ろう・難聴者の問題やアセスメント方法に特化したソーシャルワーク実践や理論について2年間学びました。ソーシャルワークに関する専門科目だけではなく、ろう者学などの講義も履修し、医学モデルや社会モデルだけではなく、文化モデルの視点を学んだことは、当時の私にとっては新鮮でした。また、現場実習は児童相談所で、ろう・難聴を専門とするソーシャルワーカー(ギャロデット大学の修了生)の下で、最終学年の現場実習は、テキサス州にあるSouthwest Collegiate Institute for the Deaf (SWCID)というろう・難聴者のための短期大学・職業訓練機関にて、ろう・難聴学生を対象としたカウンセリング部署にて、心理アセスメントやカウンセリングについて学びました。カリキュラムを通して、知識や理論、技術について、多くのことを学びましたが、何よりも留学の大きな財産となったのは、ろう・難聴者のソーシャルワークの先達者、すなわち、ろうのロールモデルから直接学ぶことができたことでした。

2.奨学事業による留学を終えた後はすぐに帰国されたのでしょうか。

ギャロデット大学大学院修士課程修了後に、米国現地でソーシャルワーカーとして、短期就労経験をするチャンスはありましたが、日本で在籍していた博士課程に戻りたかったこと、日本で留学の経験を活かす活動をすることを希望したため、すぐに帰国いたしました。現地に残ったり、他国で活動したりということは全く考えていませんでした。日本で帰国を待っていてくれる活動仲間の存在が大きかったのでしょう。

3.留学を終えた後、今までにされたお仕事・取り組みの内容は何ですか。

帰国後は、休学していた大学院の博士後期課程に復学し(2019年に博士号を取得しました)、また、聴覚障害者情報提供施設や就労移行支援施設の相談員や聾学校のスクールカウンセラーとして活動していました。その傍ら、日本聴覚障害ソーシャルワーカー協会理事、障害学会理事などを経験する機会にも恵まれました。卒業から5年経った2014年に、ギャローデット大学ソーシャルワーク学部の教員として採用され、ろう・難聴児の発達心理を含む発達心理学やリサーチ方法論やデータ分析を中心に科目を担当しています。2018年からソーシャルワーク学部の学科長を兼任しています。学科長の兼任は大変ですが、同僚に恵まれ、なんとか業務をこなしています。また、夏季休暇を利用して、日本では日本社会事業大学などで集中講義の担当をしています。

4.スクールカウンセラーとはどのような仕事なのでしょうか。

スクールカウンセラーは、学校において臨床心理士や公認心理師などの有資格者による心理相談や教員に対するコンサルテーションを提供する専門職として知られています。しかし、ろう学校に正職員として採用されているスクールカウンセラーはいません。私の場合は、月2〜4回ほど、ろう学校を訪問し、保健室などを利用して、子どもや両親の心理相談、必要に応じて心理検査を実施したり、年に数回、精神保健や心理発達に関する授業を担当したりしていました。現在は、スクールカウンセラーだけではなく、スクールソーシャルワーカーを依頼するろう学校も増えているようです。

5.大学の休暇を利用して日米を精力的に往復されているようですが、日本に帰るとホッとされるのではないでしょうか。その辺り、高山さんの感じられていることを教えてください。

約10年米国で生活していても、アメリカ手話言語、英語は、日本人の私にとっては永遠に外国語です。アメリカ手話言語や英語で感情を表現することはどうしても難しいと思っています。そして、米国のろうコミュニティでつながりを作り、居場所を見つけるのは相当なエネルギーを要するので、どうしても疲れます。そのような意味で、言語的にも文化的にも、また居場所という意味でも、日本のろうコミュニティに戻ると心理的にもホッとします。そして、日本のろうコミュニティに関わることは一つの生きがい、モチベーションの1つです。

6.奨学事業による留学終了から現在で何年目になりますか。

留学を終えた2009年を1年目として数えると、2020年でちょうど12年目になります。

7.「グローバル人材」という言葉があります。私はきこえないグローバル人材を次のように考えています。共生社会に求められる人材像としては、(1)きこえない日本人としてのアイデンティティを確立していること、(2)外国の手話言語を含めて異なる言語を幾つか習得していること、(3)海外の様々な人と協調関係を構築できること、(4)国際的な視野に立って社会貢献するための知識と経験を備えていることです。この4つの条件それぞれについて、高山さんご自身はどのように自己評価されますか。一つ一つお話しください。

7-(1)ギャローデット大学に留学するまでは、自身のアイデンティティや手話に真摯に向き合うことのなかった一人の難聴者でした。しかし、故・野澤克哉先生(ろう当事者のソーシャルワーカー)などを初めとするろう者のロールモデルとの出会いや、ギャローデット大学での留学経験、日本財団の奨学生の先輩や同期との交流を通して自らのアイデンティティに向き合うことができ、ろう者としてのアイデンティティ,生き方を歩むようになりました。20代の時期にこのような貴重な経験ができたことは、今の自分の生き方や視点の核心になっています。私個人の考え方として、ロールモデルなどの出会い、そして学問を通して自分を見つめ直すことは大切なことだと考えています。

8.「自身のアイデンティティや手話に真摯に向き合うことのなかった一人の難聴者」と表現されていますが、そこをもう少し具体的に説明していただけますか。今の高山さんから見て、留学前の高山さんはかわいそうでしたか。

今の私から見て、留学前の私はかわいそうだとは思いません。それも私の人生の一部です。大学などで学問を学んだことは、自分の過去と向き合い、ろう教育の歴史や聞こえる両親の苦悩を知るきっかけにもなり、それは過去の私を肯定的に捉えなおすひとつの契機にもなりました。ろう学校幼稚部からインテグレートした私や家族にとっては、その後、ろう者やろう文化に関わる機会も手話を学ぶ機会もなかったわけですから、必然と自分のアイデンティティについて考える機会もなかったと思います。また、聞こえないから人一倍頑張らなければ、少しでも聞く努力をしなければならないと思いつめていたように思います。全ては、医学モデルによる弊害だと思えるようになったのは、学問を通して、自分自身の生き方を振り返ったり、ろう者のロールモデルに出会ってからでした。また、ギャローデット大学という1つのアカデミックろうコミュニティで過ごした経験も大きな契機となりました。

9.野澤先生から大きな影響を受けたようですが、特にどのようなことを学ばれたのでしょうか。何か印象に残っていることとか、言われた言葉で覚えているものとか・・・

ソーシャルワーク、特に精神保健の道に進むべきかどうか迷っていた20歳の時、野澤先生と初めてお会いしました。その時に助言されたことは、今でも大切にメモしてあります。野澤先生に言われたことは、ろう者の精神保健に関わる専門家になるなら、1)日本手話を覚えること、2)地域のろう者と交流すること、3)ろう・難聴学生の集まりに参加する事、4)様々な施設やイベントに出かけること、5)ソーシャルワークの基本を学ぶこと、6)国家資格を取得すること、7)大学で情報保障の活動に加わること、8)聴覚障害者精神保健研究集会に参加すること、が大切だと助言いただきました。これは、当時、ろうコミュニティや手話を全く知らない私にとっては、斬新で、かつかなりショックなアドバイスでした。それは、大学でもどこでも教えてくれなかったことでした。

7-(2) グローバル社会と言われています。必ずしも英語やアメリカ手話言語などの外国語が堪能である必要はないと思いますが、センシティブに、柔軟的に自分とは違う言語に興味を持つ姿勢は重要であると考えています。また、日本という単一民族国家に生まれ育った自分の言語観を知るには留学は最適な手段でした。アメリカ手話言語や英語という使用者が多いマジョリティ言語を通して、世界の情報に容易にアクセスできるという点では、自己成長という観点では多いにその恩恵を受けていると思います。一方で、英語やアメリカ手話言語が持つ権威性について、自覚することは重要です。それは、英語ができること、アメリカ手話が他の言語より優れている訳ではないのに、素晴らしいと賞賛するような風潮は危険で、結果的に抑圧や差別を生むことは念頭に入れておいていただきたいと思います。

10.聞こえない人は英語が苦手でもアメリカ手話言語ができれば国際交流できるという意見が多くありますが、高山さんのお考えは?

確かにアメリカ手話言語で国際交流は可能だと思います。しかし、アカデミックやビジネスといった部分での国際交流はどうしても英語は必要になります。本気で国際交流をしたいと思ったら、英語などの第二外国語を学ぶことは有意義な経験になると思います。しかし、アメリカ手話だけではなく、国際手話やその他の国の手話にも興味を持ち、国際交流することが大切だと思います。

11.日本では聾学校ではアメリカ手話言語を教えているところが大変少ないですが、英語を教える前にアメリカ手話言語を教えるべきと思われますか。

難しい質問です・・。発達心理や精神保健を専門に教育、研究をしている私の立場で考えると、まず子どもの第一言語(日本手話もしくは日本語)を確立すれば、英語であってもアメリカ手話であってもどちらを先に教えても構わないように思いますが、現在のアメリカ手話は英語の影響を大いに受けていますので、英語の学習はアメリカ手話の習得に多少は役立つと思います。しかし、アメリカ手話や英語を使う機会や環境を整備することがまず重要だと個人的には考えています。

7-(3) ろうの世界は、聴者の世界よりも国際交流のハードルが低いとも言われていますが、世界の様々なろう者との協調関係を持つためには、自らの文化的アイデンティティやルーツを知ることだと思います。日本にいると民族的にはマイノリティとしての経験や自覚がありませんが、米国にいるとどうしても非白人として、マイノリティとしてみなされます。また、国際交流をする機会というのは、なかなかあるわけではありません。その一歩を踏み出すための機会として、留学経験や現在の仕事は大きな契機となっています。そのような経験が国際的交流において、出会うろう者の抑圧経験やルーツの理解に役立っていると考えています。

12.高山さんが米国留学で友人などから抑圧経験の話を聞かされたと思います。最も大きなショックを受けたものがあれば教えていただけますか。

日本ではろう学校やインテグレートもあり、私は、ろう者や難聴者であっても義務教育を受けられることが当たり前と思っていました。しかし、ギャローデット大学にきて、初めて日本の当たり前は世界の常識ではないのだと痛感させられました。例えば、13歳で米国に亡命するまで教育を全く受けたことのないミャンマー人のろう者もいました。他にも、米国はろう者が過ごしやすい国だと思ったら、それは白人ろう者のことであって、黒人ろう者にとっては、そうではないという話もあり、様々な人種が集うアメリカならではのショッキングな話を聞くことができたのも留学の大きな収穫でした。

7-(4) 国際的に社会貢献するためには,リベラルアーツの視点(日本の大学教育はリベラルアーツが弱いと言われていますが..)が重要であり,かつ「日本人」としてのルーツの理解なくして,社会貢献は難しいと思っています。

13.リベラルアーツという言葉は日本では馴染みがありません。どんな意味なのか、その視点がどのように日本人に弱いのかを具体的に説明していただけますか。

リベラルアーツは、日本語で言えば、一般教養と言われています。英語や数学といった基礎科目を修了する事が一般教養ではなく、社会の出来事や事象に対して、批判的に論考する経験を通して、自分の視点を醸成するための教育がリベラルアーツとされています。このような経験を多くの若いろう者の方にも経験して欲しいと個人的に願っています。

14.高山さんが米国の大学で定職を持ちながら日米を往復して日本でも色々な取り組みに関わっていらっしゃることがわかりました。今後もこの形を続けていかれるのでしょうか。もし将来の夢がありましたら是非教えてください。

今すぐにでも大学をやめて、日本に帰りたいと思っているのが正直なところです。ですが、しばらくは日米を往復しながら、私なりに可能な範囲で日本のろうコミュニティに私の経験を還元できたらと考えています。将来は、可能であれば、筑波技術大学や他大学で、次世代のろう・難聴学生に関わる仕事を得て、ギャローデット大学での経験を生かして、様々な背景を持つろう学生がろう者としての生き方を模索するためのお手伝いやろうコミュニティに関わる次世代ろう者の育成に関わっていきたいと考えています。

帰国するタイミングを探っていらっしゃるように見えます。聞き手の私も帰国するタイミングのことでずいぶんと迷いましたが、その時の判断を正しかったと思っています。高山さんも今は米国だからこそできる経験を積み重ね、帰国したら日本でできることに全力を尽くせる、そして世界全体にも貢献する、グローバルな取組みを展開していただけることを祈っています。頑張ってください。

参考文献

  • 日本財団聴覚障害者海外奨学金事業10周年記念報告誌(非売品)に掲載された、高山亨太「ろう・難聴者に関わる対人援助専門職養成の取り組みと今後のビジョン」

 

ギャロのオフィスにて
2017年。オフィスにて。日本財団奨学金募集チラシが見えますね。

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