在学中にお世話になった元学部長(右)と元学科長(左)とともに、学位授与式にて
(2014年5月)

1.奨学事業による留学で学ばれた内容は何ですか。

オーロニ大学で英語とアメリカ手話を1年間学んだあと、ギャロデット大学大学院に進学し、主に学校カウンセリングについて学びました。大学院では途中で学校心理学から学校カウンセリングに学部を変更しています。

2.「学校心理学」と「学校カウンセリング」はどう違うのですか。そして変更された理由は何でしょうか。

ざっくり言うと、学校心理学は検査、学校カウンセリングは相談です。米国では、学校心理士とスクールカウンセラーの役割がはっきり分かれています。日本では、今や心理職に関していろいろな資格が出ていますが、臨床心理士がまだ主流です。臨床心理学では検査と相談どちらも学びます。私が米国で最も学びたかったのは相談だったので、学部を変更しました。
それから、今だから話せることですが、もう1つ理由があって。アカデミック・ハラスメントです。挙手を無視されたり、詐欺呼ばわりされたり、手話通訳者の派遣を断られたり、ろう・難聴の事例研究を軽んじられたりしていました。英語圏以外のところからろう又は難聴の留学生が入ったのは初めてだったそうで、期待が大きかったのかもしれません。手話通訳者、監視機関の方、他の教授も何人か、なんとかしようとあれこれしてくださったのですが、厳しかったですね。自分は奨学生失格だと思って帰国を考えたところを、日本ASL協会の根本さんが、当時会長兼留学担当だった児島さんにつなげてくださって、児島さんとアーシャ元留学生支援センター長が学部変更へとつなぎとめてくださったのです。その教授はもう退職されています。苦い記憶ですが、それがなければ今の自分はいないので、これも必要な経験だったと思います。

3.奨学事業による留学を終えた後はすぐに帰国されたのでしょうか

いいえ。私の場合、大学院を修了したときが留学の完了でしたが、修了時期が奨学金支援期間のあとだったからです。2008年から2013年までの5年間ご支援をいただき、最後の1年間は大学からの奨学金と自費で賄いました。無事に修了して、2014年の夏に帰国しました。

地元のNPO団体”こすもすの家”でろうの子どもたちと(2020年6月)
地元のNPO団体”こすもすの家”でろうの子どもたちと(2020年6月)

4.留学を終えた後、今までにされたお仕事・取り組みの内容は何ですか。

主に公立学校で教諭をしています。
帰国してしばらくは、留学中の体験や学んだことを伝える活動を少しばかりさせていただいたこともありました。具体的に言うと、異文化の紹介という気軽なものから、多文化カウンセリングと自己理解について講義をしたり、ろう・難聴者のアイデンティティに関する書籍を翻訳したりするなど専門的なものまでやりました。しかし、私はどうやら表立って活動するより、現場で人と触れ合うほうが向いているようです。地元のNPO行事でわたあめを売ったり、地元のろうの子どもとおしゃべりしたり、通訳派遣コーディネーターと云々話し込んだり、、、話してばかりいますね(笑)どんなやり方が一番山口県のろう・難聴の子どもたちに還元できるか、それもできるだけ早く、というのを、こうして人と話したり自分の中で考えたりしながら日々奮闘しています。

5.山口県は福永さんが生まれ育ったところですね。米国のカリフォルニア州やワシントンD.C.で過ごされた後、地元に帰られたのはやはり生まれ育ったところだからでしょうか。

離島や発達途上国で働くゴッドハンドの医師ってのがいますよね。あれと似たような理由です。
留学中、とあるクラスの教科書に書いてありました。能力がある教員ほど、進学校や推進校に就職する。彼らの力を本当に必要としている学校にはなかなか来ない、そういう現実があるんだと。
東京や大阪、広島など進んでいるところには、ろう・難聴それから聞こえる優れた方がたくさんいて、活躍されています。私がわざわざ出向くことはありません。私は、神の手を持ち合わせていないけれど、学びの機会に恵まれました。もし役に立てることがあるのなら、全力で力になりたい。それで現在に至っています。そういう理由なので、もし私がいなくても大丈夫と言われて、他に必要だというところがあれば、そこへ行きます。そんなもんです。

6.奨学事業による留学終了から現在で何年目になりますか。

ひい、ふう、みい、、、7年目ですね。
ジャニーズのグループ名も嵐以降やっと追いついたところなのに(でも誰がどのグループなのかについてはまだ怪しい。。。)

7. 米国のテレビとかで新しくファンになったグループとかはないんでしょうか。留学中はそれどころではなかったですか?

映画「トランスフォーマー」を見て、LINKIN PARK(リンキン・パーク)のファンになりました。「NEW DIVIDE(“新たな分かち”)」を応援歌にして、大学院の進級試験に一発合格しました。一発で合格したのは同期で私だけです。ライブにも1回行きました。そのときに買ったTシャツは行方不明です。

8.「グローバル人材」という言葉があります。私はきこえないグローバル人材を次のように考えています。共生社会に求められる人材像としては、(1)きこえない日本人としてのアイデンティティを確立していること、(2)外国の手話言語を含めて異なる言語を幾つか習得していること、(3)海外の様々な人と協調関係を構築できること、(4)国際的な視野に立って社会貢献するための知識と経験を備えていることです。この4つの条件それぞれについて、福永さんご自身はどのように自己評価されますか。一つ一つお話しください。

(1)きこえない日本人としてのアイデンティティを確立していること
【自己評価】10点満点中10点
「聞きとれないんで、通訳がほしいです」と言うとか、ワールドカップ戦で日本代表が出る試合以外あまり映らなくても気にしない辺りで、アイデンティティがどこかにあるんでしょうね。大杉さんやこの記事を読まれる方の「きこえない」あるいは「日本人」がどういうものかはわからないし、私のとどこまで一致するかもわからないけど。

(2)外国の手話言語を含めて異なる言語を幾つか習得していること
【自己評価】10点満点中5点
世間一般からしたら8点かもしれません。
でも自分の中では一生5点。お墓の中で「あーーーまだまだだけど、もう死んじゃったからしょうがない!!」でようやく落ち着くと思います。 
手話の読み取りは日本手話もアメリカ手話もだいぶ伸びたと思うけど、空間を活かした表現力をもっと磨きたい。サスペンスものやドキュメンタリーものの英語字幕に追いつけるようになりたい。日本語でも英語でももっとコンパクトに伝えられるようになりたい。言語的柔軟性はどの言語においても永遠の課題です。その上、フランス語か、韓国語か、アラビア語を晩年にたしなんでみたいと無謀にも思っているので、やっぱり意識が永遠に飛ぶ瞬間まで5点だと思います。

(3)海外の様々な人と協調関係を構築できること
【自己評価】10点満点中6点
「自分一人で」だったら、3点。
幸いなことに、協調関係の築き方は1つではありません。コミュニケーション力だったり、プレゼンテーション力だったり、マーケティング力だったり、それぞれに長けた人たちを通して築くのなら、自分のやり方として確立しつつあります。3点を倍上回って6点。

そういえば、学生のとき「黒幕になりそうな人」で2回も1位になったことがあります。黒幕って直接戦うとすぐ破れるんですよね。よわっ!
そのくせ、大体決まって再起します。ハリーポッターのヴォルデモートもそうだし、トランスフォーマーのメガトロンもそうだし、スターウォーズのシスも。みなさん、なかなかにしぶとくて、あざとい!
話がそれていますが、あとでつながります。大丈夫です。もう少しこのまま聞いてください。

たまたま黒幕の話を先に思い出してしまったのですが、先ほど話した関係構築の方法は、私の人生と深くつながっています。これまで、留学でも現在の職場でもそうですが、自分が本当に苦しいときはたいてい誰かがパイプ役になって、お助けマンとつながって、なんとか持ちこたえるんです。そして、はじめはこっちばかりが助けられていたのが、いつの間にか自分もひょんなところで相手の役に立っていたことが多いです。「だから私はまたあなたの力になろうと思えるし、私もあなたを頼りにしている」と言われるような関係です。ありがたいです。

“I am not concerned that you have fallen. I am concerned how you arise.”

リンカーン元大統領の格言なのですが、私は元の”that”を”how”に変えて、留学時以来ずっと座右の銘にしています。人は案外と、その人がつまづいたことより、そのあとどう立ち上がるかに関心があるのだと思います。黒幕は復讐で立ち上がる。怒りに狂って、周りを責めながら立ち上がる。部下までも責める。信頼できないんですよね。当然、破滅する。私はそうならないように、できることを常に考えながら学びを得て、信頼できる仲間の力を借りながら立ち上がっていきたい。この方法をこれから少しずつ形にしていって、より有能なものにしていくつもりです。

(4)国際的な視野に立って社会貢献するための知識と経験を備えていること
【自己評価】10点満点中7点
「世界の情勢を把握しているか、その中に自分はいるか」と単純に受け取って評価したら、落第点。専門的な知識は7年前のまま、自分の経験は山口県という枠のままだからです。では、この7点はどういうことか。
具体的なエピソードを紹介します。
給食時間に、ろうの子どもと聞こえる子どもが同じテーブルで食べていました。ろうの子どもは日本語と発音に自信ゼロ。聞こえる子どもは手話の知識ゼロ。ある日、どちらも好きなヒーロー戦隊を話題に仕掛けました。すると、変身や必殺技のポーズで盛り上がって、数ヶ月後には聞こえる子どもが手話や指文字を覚える始末。もっと話したい、もっと伝えたい、もっとわかりたいと思ったようです。
ヒーロー戦隊を話題に仕掛けたのには、根拠があります。「共通又は共有するものがあることは、私 “I” と彼ら “they” をつなげる結束力になる」、Dr. Leigh, W. IreneとDr. Wu, Cherylから学んだアイデンティティの理論や、多文化カウンセリングの理論の中にあるものです(Leigh, 2009; Sue, Sue, Neville & Smith, 2019)。7年前の教科書はぼろぼろだけれど、改訂版や新刊が出ても、根本的なことは変わっていません。このように、日常のごく小さな場面だけれど、新しい方法や見方を日本の現場に加えて、その場にいる人の視野を広くすることができるのは、米国で得た知識と経験の賜り物です。
水滴を落とすと、水面に波紋ができて、外側に広がります。同じように、小さな世界での小さな変化は、また別の変化をもたらします。もしかしたら「こういう聞こえる人もいるんだ」と知ったあのろうの子どもは、いつかどこかでろうの友達が筆談をなかなかしてもらえない場面に出くわしても、「他の聞こえる人にあたってみよう」と声をかけて、その友達は「世の中の全ての聞こえる人は書いてくれない」と絶望せずに事を済ませて、そのあと残りの時間を楽しんで「ああいい1日だった」と思うかもしれない。もしかしたら、手話を覚えたあの聞こえる子どもは、将来通訳者になるかもしれないし、職場でろうの顧客の緊張や不安をほぐすかもしれない。これは、多文化カウンセリングの信念でもあり、プロのスクールカウンセラーに求められる役割でもあります(ASCA, 2019)。
ただ、知識や経験が返って邪魔になるときもあります。知っている錯覚に陥るという落とし穴だってあります。要は使い方、扱い方であるという戒めを込めて、この項目については3点引きの7点です。

職場で子どもたちに文化祭の演劇指導中(文化祭のグループ発表の総括を聴覚障害教諭が行うのは山口県の公立学校では初・2018年10月)
職場で子どもたちに文化祭の演劇指導中(文化祭のグループ発表の総括を聴覚障害教諭が行うのは山口県の公立学校では初。2018年10月)

9. 福永さんが学ばれた「多文化カウンセリング」は「グローバル化」の中で大事にしたい心構えと基本的につながっているのですね。新型コロナウイルス感染症拡大で世界がさらに狭くなったように思いますし、今まで以上に世界各地の人々との繋がりを大切にして、より良い社会を作っていきたいという気持ちも生まれてきているのではないでしょうか。福永さんは米国留学を終えて山口で暮らしている現在、どのような夢をお持ちなのでしょうか。

自分で自分を否定するろう・難聴の子どもを少しでも減らし、自分の可能性を信じるろう・難聴の子どもを少しでも増やしたい。これが私の夢です。

自分の可能性を信じ、多様な人々がともに生きる社会でしっかり伍していく子どもが福永さんの周りで育つのは素晴らしいことです。福永さんが全力で子どもの力になれるよう願っています。頑張ってください。

<参考文献>
・日本財団聴覚障害者海外奨学金事業10周年記念報告誌(非売品)に掲載された、福永梢「私のアメリカ留学をつづる学問のすゝめ」
・American School Counselor Association. (2019). ASCA National Model (4th ed.). Alexandria, VA: Author.
・Leigh, I. W. (2009). A Lens on Deaf Identities. New York, NY: Oxford University Press.
・Sue, D. W., Sue, D., Neville, H. A., & Smith, L. (2019). Counseling the Culrurally Di-verse: Theory and Practice (8th ed.). Hoboken, NJ: John Wiley & Sons, Inc.

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