米国留学滞在中に訪れたマサチューセッツ州ボストン市にある
ボストン市中心部のボストンコモン公園にて

1.奨学事業による留学で学ばれた内容は何ですか。

言語学一般としての、音韻論、統語論、認知言語学、社会言語学など、手話言語と音声言語の比較から始めて、手話言語学研究手法まで幅広く学び、MAを取得しました。

2. 奨学事業による留学を終えた後はすぐに帰国されたのでしょうか。

しばらく仕事探しなどのために米国滞在して、日本での仕事が見つかり次第、帰国しました。

3. 米国に滞在してどういう仕事をされたかったのでしょうか。

手話言語に関する研究職や日本手話言語講師を希望していました。

4. 私も1998年頃に米国の大学で日本手話言語の授業科目を担当したことがあります。そのときは日本手話言語がまだ珍しかったのでしょう、学生が集まってくれて、大学の正規科目として2年間教えることができました。20年経った今、米国では日本手話言語はもはや珍しくないのでしょうか。米国で日本手話言語を学びたいという学生は多そうですか、それとも少なそうですか。

多そうか少なそうかについては、それに関するデータを持ち合わせていないので、判断できませんが、需要は間違いなくあると思います。留学中、きこえない大学生より日本語と日本手話言語の個人教授を頼まれたり、きこえる人対象の日本手話言語ワークショップに何人かの方が来てくださったりしたことがあります。アメリカは多民族・多文化社会の国で、中学校・高校から様々な言語を学ぶ機会が与えられていますから、英語一辺倒という感じでの外国語教育を受けている日本の学生と比べれば、関心度が高いはずでしょう。

5. 留学を終えた後、今までにされたお仕事・取り組みの内容は何ですか。(日本での活動、現在のお仕事など)

日本財団の助成があって設立された関西学院大学手話言語研究センターに3年間在籍し、手話言語に関わるイベントの企画を担当しました。そこで手話言語学研究調査活動のために文部科学省の科研費を獲得して、現在は国立民族学博物館に外来研究員として在籍しています。並行して、ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業実行委員、日本手話学会理事、公益社団法人大阪聴力障害者協会理事として、手話言語に関わる活動に携わっております。

6. 帰国早々科研費を獲得されたのですね、おめでとうございます。研究テーマとその概要を説明していただけますか。

研究テーマは「日本手話言語の変質に関する研究」です。1つのコミュニティに自然発生する言語が、あたかも二分されているかのような印象を与えている、昨今の情勢に科学的なメスを入れたいと思ったのがきっかけです。60年以上も続いた手話言語の使用を禁止するろう教育、手話講習会や手話サークルなどきこえる人による手話言語使用人口の増加など、きこえない人の使用する手話言語にまつわる環境変化によって、複雑に変質してきたことが要因の一つとして考えられます。このような手話言語使用の実態を明らかにすることで、手話言語を母語にする、きこえない人の視点に立っての“日本手話言語コーパス”の基盤作りにつながることを目指しています。

7. 研究はうまくいくものとは限りません。今の研究で大きな課題があれば話してください。

手話言語使用者の中からインフォーマント(データ提供に協力してくれる人)を探すのに一番苦労しています。是非撮らせてくださいとお願いしても、自分の手話言語がまだまだだから恥ずかしいと断られることが多いからです。おそらく、手話はみっともないと言われたなど、世間の目に嫌な思いをしてきた経験があるのでしょうし、手話ボランティアや手話通訳者など、手話言語を使用できる、きこえる人による理不尽な干渉、例えば、日本手話言語は日本語より劣っているからかわいそうだ、助けてあげようというような、偏ったポリティカル・コレクトネスによる言語的な干渉に、善意の押し売りとして合わせてしまうことが多いからだと考えられます。こうして、きこえない人が日本手話言語を自然体で使用している様子を収録したくても、研究データとして納得できるほどまでなかなか得られていない状況が続いています。

8. それは難しい課題ですね。この課題を解決するためにどうしたら良いとお考えでしょうか。ひとりでできることではないかもしれませんが、自分や周りと協力してできる短期的な対策と社会全体でやるべき長期的な対策があるとしたら、どのようなものが考えられますか。

まず、SLLS(Sign Language Linguistics Society:国際手話言語学会)が手話言語学における研究倫理(SLLS Ethics Statement for Sign Language Research)を提起していますが、その倫理について、日本国内の手話言語に関わる職業に携わっている人たち全員によく理解していただく必要があると考えています。つまり、手話言語を母語にするきこえない人の存在を無視して、勝手にすすめないで!と、障害者権利条約制定運動の理念に則ったような倫理綱領ですが、きこえる人中心の手話言語研究調査活動が数多く目立つ現状と実態においては、啓発していく必要があります。更に、「日本手話言語コーパス」事業が、国勢調査や国立国語研究所コーパスなどと同等に、国家プロジェクトの一環として、また、日本手話言語を母語にするきこえない人中心の学術研究調査活動として始められるべきであると考えています。それが象徴となれば、手話言語をとりまく環境が「正常化」、つまり、手話言語を母語にするきこえない人の人権が十分尊重されている、本来のあるべき姿に向けて変わるだろうと思っております。

9. 奨学事業による留学終了から現在で何年目になりますか。

6年目になります。

ハーバード大学創設者ジョン・ハーバード氏像。靴をなでると幸せになるというジンクスが。(2013年1月)
ボストン市ハーバード大学創設者ジョン・ハーバード氏像。靴をなでると幸せになるというジンクスが。(2013年1月)

10. 6年目ですか、10年目にどのような自分があるかイメージができていましたらぜひお話しください。

日本手話言語とは何か、ピンからキリまで科学的な説明ができていて、日本手話言語は音声言語とは優劣をつけることができないほど、言語的アイデンティティがあると認知してリスペクトされるように、何らかの形で関わっている自分になれたらよいなと思っております。

11. 「グローバル人材」という言葉があります。私はきこえないグローバル人材を次のように考えています。共生社会に求められる人材像としては、(1)きこえない日本人としてのアイデンティティを確立していること、(2)外国の手話言語を含めて異なる言語を幾つか習得していること、(3)海外の様々な人と協調関係を構築できること、(4)国際的な視野に立って社会貢献するための知識と経験を備えていることです。この4つの条件それぞれについて、川口さんご自身はどのように自己評価されますか。一つ一つお話しください。

(1)留学前は、手話言語とは何か、よくわかっていない部分が多かったため、自己アイデンティティを確立しにくかったです。手話言語について深く学ぶにつれて、日本手話言語は世界的にもすごく優れた言語であると気付くとともに、その言語を母語にする誇りを重く感じたおかげで、ようやくきこえない日本人としてのアイデンティティを確立していると自負しています。

(2)留学前は、日本での外国語教育が、まさにガラパゴス化されているほど、国際的にかなり遅れているためか、日本語力があまりないまま翻訳作業に追われてしまうことが多かったため、英語に対する苦手意識が強かったです。しかし、留学先で翻訳のテストを受けることが全くなかったおかげかで、外国語感覚ではなく、第二言語感覚で英語を学ぶ楽しさを知ることができ、更に、言語学知識を深めるとともに、様々な国や地域の手話言語や音声言語に興味を持つようになりました。

(3)留学先で『人をリスペクトしなければならない/しましょう』と何度も聞かされたおかげか、人権尊重や「個人の尊重」については、留学前と比べて、強く意識するようになりました。しかし、日本では、逆に「単なるわがまま」とみられてしまうほどなので、その集団意識も必要であるというバランス感覚を大切すれば、どんな国や地域の人であろうとも、協調関係を築きやすくなると思っております。

(4)社会貢献に目標達成するためには、活力、技術力、能力の3つがバランス良く必要最低限以上に保持していることが大切だと思っています。知識や経験があることは単なる技術力にすぎないので、その技術力を生かすために、よく足を使うような活力、更に、人を発展的に動かすような能力がないと、頭でっかちで自己満足して終わる、人様に迷惑をかけるだけであり、社会貢献の意義がなくなるからです。こうして、売名行為のようにかっこよさを求めるより、地味に実のある内容を作っていくことが肝要だと思っています。

11―1 (1)の「日本手話言語が世界的に優れた言語である」とはどのようなことでしょうか。例を挙げて説明してください。

日本手話言語には、マンガやオノマトペや漢字などの日本文化の影響を受けた単語が数多くみられています。例えば、「目がメラメラする」ような単語はマンガから、「雨降り」に関する細かい表現はオノマトペから、更に、「お金」の手型を使って、銀行、商売、売る/買う、値上げ/値下げ、お金持ちなどの意味を表す様々な単語があるなど、日本の独自性が色濃く出ていて、図像性の面ではすごく豊富だからです。

11−2 日本文化の影響を受けた日本手話言語の単語を解説する本があったら面白いと思いませんか。川口さんが書かれたらいかがでしょう?

すでに、大原省三先生の『手話の知恵―その語源を中心に―』という本がございます。そういう方向性ではなく、日本手話言語の図像性やメタファーを注目する、つまり、手話言語をどのように認知するかを研究しています。例えば、「足が棒になる」という日本語は、人の共通経験によって意味を理解できるのですが、同じ意味で英語に翻訳すると、直訳で「足が私を殺している」とか「足が鉛のようだ」などのように表現が変わります。日本手話言語では、/足/疲れる/という表現を使う人が多いと思いますが、/足/重い/とか、/足/縦棒/並みだ/などの表現を使う人もいるでしょう。そこで、/疲れる/、/重い/、/縦棒/などの単語が、なぜその意味につながるのかを注目するという感じで研究しています。ただ、音声言語と比較して手話言語との共通点や相違点を探ることも必要なので、音声言語についてはわかっていない部分がまだ残っており、時間がすごくかかりそうです。

11−3 (2)に関して、日本のきこえない子どもが英語とASLを学ぶとしたらどちらを先に学んだら良いでしょうか。川口さんのお考えを聞かせてください。

日本のきこえる子供が日本語と英語の2言語を学ぶのに、きこえない子供は日本手話言語、日本語、ASL、英語の4言語も学ばなければならないとなれば、セミリンガルよりも中途半端的な“クォーターリンガル”になる可能性が大きく、きこえる子供と比べて不公平であり、障害者差別そのものになるのではないかと感じています。したがって、きこえない子供には日本手話言語と日本語の2言語に専念するべきであり、それら2言語が確実に身に付いてから、ASLと英語を学び始めても遅くはないと考えています。更に、大学入試や入社試験などに課せられる英語試験は、幼年期前期から不特定の人の音声が補聴器や人工内耳を付けても自然体では聴こえないという人には完全免除されるべきものだと考えています。アメリカのきこえない子供達さえ、ASLと英語の2言語だけでもものすごく大変だからです。
また、日本のきこえない子供がASLと英語のどっちを先に学んだらよいかについては、日本手話言語と日本語のどっちを母語にしているかによるのではないかと考えています。つまり、ASLと日本手話言語は視覚言語、英語と日本語は音声言語、それぞれの音韻的な親和性に合わせたほうが学び始めやすいのではないかと考えております。

11−4 (3)に関しては個人意識と集団意識のバランス感覚が重要であると思います。留学を終えた今、川口さんが日本でこのバランス感覚を保っていく上で困難に感じる課題があればお話しください。

1つの物事に様々な視点を持って理解するという「ダイバーシティ」的な発想が、そのバランス感覚を支えるための思考的基盤としては大切だと考えています。ただ、人間のナルシスティック的な欲求から生まれる、ねたみ、そねみ、ひがみなどが、そのバランス感覚を崩すきっかけになりやすいので、そうならないよう言葉の力などで理性的にうまく抑えることはできるけど、それでも抑えられなかった場合はどうするか、見方ややり方を臨機応変に変えてみるなどが一番難しい時だと思っております。

11−5 (4)に関して、川口さんは今日本におられますね。日本から国際的な視野に立っての社会貢献は可能でしょうか。そうなら、どのような内容で社会貢献していきたいとお考えですか。

幸いなことに、ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業に関わらせていただいていますが、国際協力の分野で関われるような事案があれば、是非協力させていただきたいと感じております。ただ、手話言語に関わる学術研究調査活動には、きこえる人中心的な考え方や音声言語中心的な感覚による影響が目立ち、手話言語を母語にするきこえない人からみれば、違和感を覚えるような事柄が、日本では数多く出ていて、世界あちこちにもよく見られています。こうして、きこえない人による国際的な研究者ネットワークの構築など、国内外問わず、手話言語の言語的アイデンティティの確立に向けて、社会貢献できたらと思っております。

全ての質問の答えに「手話言語」が関わってくるほどに、川口さんは手話言語の発展を願って研究や社会の活動に取り組まれているのですね。一人でできることもあれば仲間を得てこそできることも多いと思います。一つひとつの取り組みを着実に進めていくことで、川口さんが描く言語的平等の社会が実現することを強く願います。頑張ってください。

参考文献

  • 日本財団聴覚障害者海外奨学金事業10周年記念報告誌(非売品)に掲載された、川口聖「手話と言語学」

ホップ・ステップ・ジャンプ!インタビュー一覧へ戻る