2018年にフィリピンに新たに設立したバイリンガルろう学校「Benildeろう学校」校長先生(左端)と7年生のみなさん(当時) 2019年5月撮影

1.奨学事業による留学で学ばれた内容は何ですか。

第5期生として選出され、2009年8月よりオーロニ大学(Ohlone College)で1年間英語研修等大学入学の準備を行いました。その後2010年8月にギャロデット大学(Gallaudet University)へ入学し、2013年5月にソーシャルワーク学士号を取得しました。2013年8月からは同大学大学院へ進学し、行政学(Master of Public Administration)と国際開発学(International Development)を学びました。奨学金は2014年5月で終了していますが、2015年12月まで自費で留学を継続しました。

2.留学を終えた後、今までにされたお仕事・取り組みの内容は何ですか。

帰国して半年は栃木県聴覚障害者協会でインターンシップを行いながら、修士論文を書いていました。その後の1年半は宇都宮市にある人材サービス企業で事務職に就き、今は日本財団でアジアのろう者の社会参画推進を図る事業のコーディネートや2019年9月から2020年7月にかけて日本財団が開催している「True Colors Festival -超ダイバーシティ芸術祭-」の運営に関わっています。

活動面では、現在宇都宮市聴覚障害者協会会長、栃木県聴覚障害者協会理事、関東ろう連盟青年部委員、 全日本ろうあ連盟青年部事務局長を務めさせていただいています。また、時々ASLや国際手話の通訳も行なっています。

ギャロデット大学でアルバイトをしていたダイバーシティ学生支援室主催のリーダーシップ研修会での一コマ(右端が川俣さん。2015年秋撮影)
ギャロデット大学でアルバイトをしていたダイバーシティ学生支援室主催のリーダーシップ研修会での一コマ(右端が川俣さん。2015年秋撮影)

3.奨学事業による留学終了から現在で何年目になりますか。

2014年5月に5年間の奨学金受給が終わっていますので、そこから6年目、2015年12月に帰国してからは4年目になります。

4.「グローバル人材」という言葉があります。私はきこえないグローバル人材を次のように考えています。共生社会に求められる人材像としては、(1)きこえない日本人としてのアイデンティティを確立していること、(2)外国の手話言語を含めて異なる言語を幾つか習得していること、(3)海外の様々な人と協調関係を構築できること、(4)国際的な視野に立って社会貢献するための知識と経験を備えていることです。この4つの条件それぞれについて、川俣さんご自身はどのように自己評価されますか。一つ一つお話しください。

大学でろう文化と手話言語について学び、留学生活を通してたくさんのろう者と交流を持ったことで、ろう者としてのアイデンティティを確立することができました。また、日本人が圧倒的に多い日本を離れ、様々な国籍、人種、宗教の人々が住む環境で生活することで、より「日本」について意識するようになり、日本人の慣習、規範、価値観、またその背景にある歴史・文化を自覚し、日本人のルーツを考えるようになりました。それをきっかけに日本人と日本社会が持つ魅力に気づき、日本人としての誇りが芽生えました。

同時に、自分とは異なるアイデンティティや価値観をもつ人たちとも敬意・関心を持って柔軟に接し、それぞれの魅力を発見し、相互理解を深めることができるようになったと思います。それは習得した言語の数が影響していると思います。言語の数だけ、人とのネットワーク・情報・行動範囲・選択肢が広がり、その分視野も広がります。この経験が現在の仕事や活動面で大いに活かされていると感じます。

5.大学院に進学した時に決めた道をそのまましっかり歩んでいる印象を受けます。帰国後ろう者協会で様々な活動を続ける中、日本におけるろう者共同体(コミュニティ)の組織運営、政策形成、行政との関わりが国際的にどのような特色(良い面、悪い面)を持っていると感じていますか。

日本のろう者共同体(コミュニティ)の良い点は、例えば全日本ろうあ連盟は全国規模の行事を65年以上にわたり毎年開催し続けてきた等、組織力の高さ・チームワークの高さですね。1991年にアジアで初めて開催された世界ろう者大会の参加者数は史上最高の6000人超で、交通がより便利になった今もこの参加数を超えた大会はありません。日本人のチームワークの良さはオリンピックやワールドカップ等でよくコメントされますが、組織運営にもチームワークの良さが発揮されていると思います。

日本のろう者共同体(コミュニティ)として参考になる国はどこかというと、例えばニュジーランド(NZ)でしょう。NZは英語の他にマオリ語とNZ手話言語を公用語としており、手話言語を世界で始めて公用語とした国です。社会開発省障害問題担当室にろう者主体で構成するNZ手話諮問委員会を設置し、毎年125万NZドルの予算を手話言語開発やアクセシビリティ支援等に充てています。また、政府へ手話に関する施策の助言も行います(参考:小林・大杉2014)。またNZのジャシンダ・アーダーン首相は会見のときは必ず手話言語通訳を隣に置き、TVメディアには通訳も映して放送するよう伝えているそうです。2年毎の5月に開催されるNZ手話言語週間では首相みずから手話言語でPRされたこともあるという、充実した内容です。

今年7月に、4年に一度の世界ろう者会議がパリであり、あわせて開催される世界ろう連盟の総会で次回開催地の選考があり、NZが立候補していたのですが、その時も首相から歓迎メッセージを手話でいただいていました。結局NZは落選し、韓国の済州島に決まりましたが…。

6.日本財団でアジアのろう者の社会参画推進を図る事業とはどのようなものでしょうか。

インクルージョン推進チームに在籍しており、下記の3点をテーマにアジアのろう者の社会参画推進を図る助成事業のコーディネートをしております。

  • ろう者が手話言語で教育を受けられる環境を推進する事業
  • ろう者が手話言語学、手話言語の辞書、教材作成、手話言語指導法について学び、手話言語や手話言語学研究を普及する事業
  • 手話が言語であることの法的認知を推進する事業

また、兼務でTrue Colorsチームにも在籍しており、2019年9月から2020年7月にかけて日本財団が開催している「True Colors Festival -超ダイバーシティ芸術祭-」の運営に関わっています。「True Colors Festival -超ダイバーシティ芸術祭-」は、障害・性・世代・言語・国籍などのあらゆる多様性があふれ、皆が支え合う社会を目指し、ともに力を合わせて多彩なイベントを展開しており、私は特にアクセシビリティ対応、障害者当事者の観点からコメントさせていただくことが多いです。

「True Colors Festival -超ダイバーシティ芸術祭-」のシリーズイベント第1弾True Colors DANCEで圧巻のパフォーマンスを繰り広げてくれた多国籍障害者ブレイクダンスチームILL-Abilities(2019年9月10日@渋谷ストリーム前広場) 2019年9月10日撮影

7.前から国際協力に関わる仕事をしたいと話されていましたね。実現した今、留学生活で学んだことを活かせている部分があれば、苦労している部分もおありと思います。いかがでしょう。

現地のろう者が受益者で居続けるばかりでなく、重要な開発の担い手として開発過程にも参画してもらう開発を心がけています。情報やノウハウの提供、資金面のサポート、行政や大学等との交渉の支援を進める中で、現地のろう者の視点を取り入れるようにしています。これが留学生活で学んだ大事なことだと思います。

逆に苦労しているのは、同行する手話通訳者の手配です。海外出張が月1回程あるのですが、一緒に出張へ行く日本人の職員と話す時は日本語、現地の人と話す時は英語なので、日本語−英語−日本手話言語の3つを扱う通訳者が必要なのですが、適任の方は日本には数名しかおらず、スケジュール調整が大変です。日本で通訳者の調整ができなかった時は、アメリカ手話言語または国際手話ができるフィリピン、マレーシア等の通訳者にお願いしています。その時は日本人同士で話すのに英語−アメリカ手話言語または国際手話の通訳を通して話します(苦笑)。

8.ADA(障害のあるアメリカ人法)についても学ばれたことと思います。ADAは米国の社会において機能しているものですから、そのまま日本やアジア諸国の社会に有効なものであるとは言えないでしょう。でも、国の違いを超えて、日本やアジア諸国の社会に通じる部分があるとすれば、それは何であるとお考えでしょうか。

ADAにもまだまだ課題はあるのですが、私がADAから強く感じるのは、障害者が非障害者と同じスタートラインに立てるよう、法律で具体的に規定していることです。ADAは「障害者」の定義がとても広く、日本ではサービスを受けられないとされる障害者も米国では多くが対象となります。合理的配慮の提供も日本は民間へは努力義務としていますが、米国は法的義務としていますので学校や職場でも当然のように手話言語通訳が派遣されます。電話リレーサービスも24時間365日で利用可能(現時点で日本では対応不可とされている緊急通報も利用可能)なよう整備されました。それにより、ろう者の職業の幅が大幅広がり、可能性が広がっています。

9.最後の質問です。本事業は「終了後はその留学経験を活かし、日本やアジア諸国のろう者コミュニティで必要と思われる分野で活躍することを志すろう者・難聴者を支援」するものです。川俣さんはその通りアジア諸国のろう者コミュニティのエンパワメントを促進する事業に携わってきています。一方国際手話通訳などで把握する欧米の新しい状況や交流の経験をお仕事に活かされていると思います。「国際支援」ですね、ろう者コミュニティに関する国際支援を続けていくときに川俣さんが最も大切にされていることは何でしょうか。合わせて川俣さんの決意を改めてお聞きしたいです。はい、どうぞ。

「Nothing about us, without us(私たちのことを私たちぬきに決めないで)」です。これは障害者権利条約のスローガンなのですが、受益者は必ず事業計画の段階から意思決定機関に参画させ、当事者の視点を反映させることを大切にしています。

参考文献

  • 小林 昌之, 大杉 豊「ニュージーランド手話言語法の形成と発展」『手話学研究』2014年,23巻 p.57-75
  • 日本ASL協会聴覚障害者海外奨学金事業10周年記念報告誌(非売品)に掲載された川俣郁美「ろう者の権利アドボカシーと国際協力」

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